アダム徳永のスローセックスレポート

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小川康介さん(仮名)43

プライベート講習を受講してスローセックスの技術を身につけ、今まで以上にゆっくり女性のペースでセックスを行うことができるようになりました。妻はそれまでは見たことがないような腰の振り方をするようになり、それまでは聞いたことがないような大きな声をあげるようになりました。こうした性愛が営めるだけでも幸せの度合いがかなり増したと言えます。ここまでの自分に導いて下さったアダム先生にはただただ感謝です。

しかし、ここまでの話であれば、既に多くの方がレポートを寄せられていますので、ぼくが改めて自分の経験をお話しするまでもありません。ぼくがお話ししたいのはここからです。

ぼくはこのレベルに達したあとも、まだ疑問が残っていました。確かに妻はこれまで以上に感じてはいるのに、ぼくにはまだ満足ができない理由が残っていました。妻がまだ100%出し切っていない。そう感じていました。ぼくがアダム先生の門を叩いた理由は妻との性行為を改善することでしたが、ぼくにはまだ妻とのセックスに不合格点しかつけられませんでした。

昔の彼女と比較するのは妻にとって失礼なのはわかります。しかし、過去に至福ともいえる経験があれば、それを思い出さない方が難しいでしょう。昔の彼女はぼくが彼女のからだの中に入っていくなり、待っていたかのように膣で達していました。何回もあそこが痙攣し、からだ全体が大きく動きます。しっかり彼女をおさえておかないと、どこかへいってしまうような激しさでした。そして最後にぼくが達すると、彼女はそれに呼応してまた何回も達するのです。

2人は汗でびっしょりで、シーツも濡れているような状態です。「凄かった。今日は何度も達したね。」とか「今日はいつもより(射精が強くて)あなたを感じたわ。」といった感想を枕元でお互いに述べ合いました。感動的な映画を見たら、どこがどのようによかったか、あとで熱心に話しあう、あの時の感じです。「またすぐやろうね。」と2人で言いあったものでした。

妻は膣ではいかないせいか、そこまでの感動はありませんでした。終わったあと枕元で、ぼくは自分たちがたった今行なったセックスのことについて、できるだけ触れないようにしていました。もし何かを言えば、それは過去の激しい交接と比較して落胆していることが、言外に出てしまうような気がしたからです。儀礼的に「よかったよ。」とひとことだけ言いました。それは自分たちがデートの際に選択した映画が、たまたまつまらないものだった場合にその場を繕うためのセリフのようでした。

妻にはもちろんそうした気持ちは一切隠していました。しかし自分のからだにそのことがしっかり現れていました。挿入してからある時間が過ぎると、妻のからだの中で自分が萎れてくることが多かったのです。自分の年齢が40歳代に入ったという現状を考えればある程度はやむをえないとその時は思っていました。それが間違いだったということはあとでわかりました。本気で熱くなっていないからだったのです。

自分が繰り広げている性の営みは、最高のものではないという思いから、ぼくは抜けきれませんでした。だから、すぐにまた抱きたいとは思いませんでした。いったん接しない日々が続くと、「やろう。」と言い出すのにためらいが出てきました。また「家族なのにふしだらなことをしている。」と思ったりして、恥じらいが出てしまい、1ヵ月どころか2,3カ月セックスレスの状態が長く続きました。講習の受講前も多いとはいえなかった回数は受講後も、増えることなくそのまま数年が続きました。

「妻は他の人に比べて感じない体質なのではないだろうか。しかも、保守的な家で育ったせいか、性についてオープンに話すことができない。まだ自分を抑えているから性を満喫できないのではないか。」と思っていました。「最高の満足は妻からは得られないだろうなあ」と半分あきらめていました。自分は仕事で喜びを得ているのだから、妻との性はこのレベルでも仕方がないではないだろうか。人生はそんなに欲張ってはいけない。これだって悪くはない。そう思って自分を納得させていたのでした。

数か月に1度の性行為では当然自分のからだが満足しません。「この方がすぐに終わるから、2人で愛し合うのに比べて仕事をする時間が増えていい。」と思って自分を慰めていました。しかしそれでもこれは自分の人生においてぜひ解決した問題であると認識していました。中途半端に自分を納得することがいい訳はありません。そうした日々を送っていると転機が訪れたのです。

その転機とは、先生がブログの中でおっしゃる「セックスでしか伝えられない愛がある。」という言葉です。その言葉に接した際に自分の中で「そうだったのか。」と合点がいくことがありました。

昔の彼女は性的には満足でしたが、ベッドを離れて日頃から愛情を感じるのは何といっても妻でした。ぼくは妻のことが本当に好きでした。にもかかわらず、妻に奉仕するとか、妻をより感じさせる、といったことや自分が感じることにばかり重点を置き、性の営みは愛を伝えることだという、大事な側面を忘れていたのです。自分があまりに熱くなってしまえば、冷静さを失って早く射精してしまいます。それではいけないという思いが強すぎたのもわかりました。それでは相手にも醒めた思いが伝わってしまいます。

それだけではありません。もっと根源的な問題が自分の中にあるのに気づきました。ぼくには「性行為は恥ずべきことだ。」という気持ちがどこかにあったのです。性行為は人に隠れてやっているのだから、いいことであるはずがない、ということです。人に見せられないようなことに堪能し、没頭してしまうのは、自分が堕落しているだからだという反省が心のどこかにありました。

昔の彼女は自分から「今やりたい。」とはっきり意思表示をしてきました。相手がやりたがっていることをするのは、思いやりであり人助けですから、すぐに呼応することができました。そこにはうしろめたい気持はありませんでした。

しかし妻は奥ゆかしくできているせいか、自分から誘うことはありません。ということはぼくから言い出さなくては事が始まりません。しかし、自分の心の残っている罪悪感から、性行為をしたいということを、頻繁には口にできませんでした。「性欲のはけに私を利用している。」と思われるのではないかと、恐れていたからでした。自分の本当の気持ちを見せなければ距離ができてしまい、それが性行為に現れるのは当然でした。

アダム先生の名言に接し、妻の感度や育った環境ばかりを問題視していた自分の側にこそ問題があったのに気づいたのでした。自分が最高に満喫しようという姿勢でなかったら相手がそれに呼応することはない。自分が変わることが大事だ、と思うに至りました。

ぼくには欲望がある。妻の前で欲望を剥き出しにして何が悪いのだろう。それに、熱くなりすぎて、完璧な性行為を完遂できないことがあってもいいではないか。妻の前で恥ずかしい思いや決まりの悪いことになっても構わない。自分が愛しているという思いを言葉ではなく、からだいっぱいで示そう、と思いました。自分が妻に夢中だという思いは欲望が丸出しの自分をさらけ出す中でしか示すことができないのです。

ただし、そう思ったからといって、それがすぐに実行できるわけではありません。しかし、問題の根源がわかればいつかはチャンスがやってくるものです。

その日はとても寒い日でした。2人は布団から出たくはありませんでした。2人は肌をずっと密着させたまま、行為を営み始めたのです。すると、いつもにまして、妻の感度が高いのです。それまでは妻はベッドに寝かせ、自分はアダムタッチをするためにからだを起こしていました。妻と自分の間に距離がありました。冬は寒いのでぼくはガウンを着たまま始めていました。これではまるで施術者と受益者の関係でした。今日は2人はぴったり寄り添ったままです。2人で愛し合うという感じでした。

妻の叫び声はスローセックスを始めてから、大きくはなってはいたのですが、その日の妻は吠えるようでした。そばにいる自分が耐えられないような大きな絶叫。初めてでした。まだ挿入をしていないのに、陰部を触っているだけの段階で、何度もイッてしまいました。途中で涙すら浮かべ始めたのです。

妻のからだの中に入ると、妻はもうぼくの名前を呼び始めます。何度も何度も呼びます。早く達してほしい。自分がいきそうだから、早くぼくにもイッてほしい。一緒にいイキたいという意思表示です。ぼくも何度も妻の名前を呼びました。好きだ。愛しているという気持ちをこめて。

この日は途中で萎えることなく、ゴールに達しました。すると、自分が汗ばんでいるのに気がつきました。若き日ほどではありませんが、あの頃の激しさが戻ってきたのがわかりました。これがまさにぼくが望んでいた性でした。

からだを離して安らぎに入ってから、ぼくは初めて自分の思いを口にすることができました。ぼくは本当はもっと愛し合いたかった。これからはもっと愛し合おう。こうして週末ごとに愛し合うようになりました。「1週間に1回では日本人としてごく普通の回数だ。たいしたことはないじゃないか。」と思う方もいるかもしれません。でも、結婚して15年も経つ人間が人にこんなことを言うのは恥ずかしいのですが、自分の気持ちが婚約した頃に戻った感じです。身も心も幸せに包まれています。週末が待ち遠しくなり、平日は昼間から週末のことを思うと股間が大きくなってくるのです。愛し合う姿を思い浮かべるだけで熱くなるなんて独身時代にもなかったことです。

人知れず股間を大きくするこんなぼくのことを、人は中年すけべ親爺と蔑むのでしょうか。妻を愛する思いが、からだに現れることが軽蔑に値することでしょうか。そうではないはずです。性を堪能することを最も蔑んできたのは、人ではなく自分だったのです。その自分のわだかまりが、妻との愛の営みの中で氷解していくのに気づきました。愛しているから抱きたい。抱くときは思いっきり激しく愛し合いたい。性の営みをするときには野獣になってもいい。本当は淫らな自分をさらけだしたかったのです。誰にも見せたことのない自分の本性を妻が見た時、それは妻から蔑まれるのではなくて、「本当のあなたをさらけ出してくれてありがとう。」と思われ、さらに愛が深まるのがわかってきたのです。

昔から仲がいい夫婦でしたが、性愛に満足を覚えるようになって変化が出てきました。妻の物腰が柔らかくなったような気がしますし、自分もそれまでは少しのことでは腹が立たなくなりました。またそれまで以上に日ごろから妻が愛しくなりました。日常会話の中に性の話が少しずつ出てくるようになりました。

アダム先生の「セックスでしか伝えられない愛がある。」のおかげで、ぼくは救われました。先生から教えていただいたスローセックスのテクニックは、とても大切なものでした。それなしでは今の境地に到達することはなかったと思います。しかし、それにもまして大切だったのは先生の愛に対する姿勢、本当の愛し方だったのです。夫婦ともども先生の教えに感謝しています。



Slow Sex Report

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